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歴史好きにおすすめ!茨城県『逆井城』。ー復元櫓と土塁で戦国時代にタイムスリップ!ー

2023/04/08
 
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ブログでは、20年間携わった高校生の進路支援の経験をもとに「専門学校の入試・選び方・学費」などを紹介しています。 また自身もデザインの専門学校に通学した経験から「40歳を超えて専門学校に通った経験」をまとめています。 そのほか、「旅行」、「鬼滅の刃」、「生活」、「戦国時代の武将や出来事」などについて紹介しています。 モットーはサザエの殻のように、ゆっくりだけど着実に大きくなれるよう人生を歩むことです!
茨城県にある『逆井城』(さかさいじょう)をご紹介します。
 
「茨城県の逆井城ってナニ?」という方も多いかもしれませんね。
マイナーなお城ではありますが、歴史好きはもちろん、ドライブに立ち寄るにもおすすめのスポットです!
 
なんと言っても、復元された櫓(やぐら)や門、土塀などが、発掘調査と時代考証から忠実に再現されているところが魅力でしょう。また、土塁がしっかり残っていて当時の城郭を彷彿とさせてくれますし、城を統治していた北条氏(後北条氏)の特徴的な城郭作りの跡も見逃せません!
 
とにかく魅力あふれる茨城県の城跡『逆井城』をさっそくご紹介していきましょう!
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『逆井城』は茨城県のどの辺り?

まずは、逆井城の場所からご紹介します。
逆井城は、茨城県西部「古河市」からやや東に位置した場所にあります。
 
 
 
「JR宇都宮線」や「関東鉄道常総線」などで行く方法もありますが駅から遠いため、車が便利でしょう。
車ですと圏央道の境古河ICから10分程度。駐車場(約40台・無料)も完備されていますのでおすすめです。
 
解放時間は「9:00-16:00」です。
閉まるのが早いですので気をつけましょう。
 
逆井城は、戦国時代の幕開けに逆井氏が築城した城ですが、のちに関東の雄「後北条氏(以降北条氏と記載)」の居城となった城です。
逆井城と同時代、周辺には「古河公方」の居城『古河城(古河御所)』や、交通・経済の要所だった『関宿城』をはじめ様々な城が取り巻いており、逆井城も熾烈な勢力争いに巻き込まれていきます。
 
逆井城付近の重要な城

『逆井城』周辺を取り巻く戦国時代の城

 
ちなみに、『逆井城』の歴史(時代背景)については、まとめて次の記事で紹介しています。
城跡めぐりは「歴史(時代背景)」を事前にチェックしておくとより多く楽しめます。
 
「『逆井城』は、いつ、どんな時代に誕生して、どのような形で落城、そして廃城となったのか?」
そんな内容をまとめていますのでこちらをご参照ください!

戦国時代を体感!復元の櫓や土塁を見よう!

ではさっそくどんなスポットかを見ていきましょう!
 
『逆井城』の最も魅力のポイントは、復元された櫓(やぐら)や土塀、櫓門、木橋などの建物です。
発掘調査に基づいて時代考証を行った上、復元されているからです。
 
つまり、戦国時代のそのものの息吹を感じることができるわけです。
 
まずは外観がこちらです。
  
逆井城外観

駐車場から眺める「二層物見櫓」と左手「平櫓」に続く城郭

 
逆井城外観

二層物見櫓から奥の井楼櫓を望む

 
二層の物見櫓(ものみやぐら)に左手に土塀、平櫓、井楼櫓(せいろうやぐら)と続いていきます。
 
なんと、NHK大河ドラマ『真田丸』でもロケで使われ、第8回で「海津城」として登場したようです。
この眺めはタイムスリップしたかのよう。写真スポットとしておすすめです!
 
逆井城外観

土塁に立つ「二層物見櫓」。実戦向きな印象を受けます

 
手前の「物見櫓」は、戦国時代に多く見られる、入母屋造に望楼(遠くが見渡せる櫓)を載せた二層の「望楼型天守」の形状です。江戸時代のような石垣に土壁、瓦葺きといった堅固で豪華で権威的なお城ではなく、戦国時代の簡素かつ実戦向きの作りが印象的です。
 
逆井城二層櫓

物見櫓の西側から

 
 
逆井城物見櫓内側

物見櫓内側より

 
中にも入れます。2階へ上がり廻縁(まわりえん。ベランダ部分)から景色を眺めることができます!
奥に見えるのが井楼櫓です。
 
逆井城二層物見櫓からの眺め

「物見櫓」から西を望む

 
物見櫓から左手に平櫓を見学しつつその先の井楼櫓へ。
 
逆井城井楼櫓までの道
 
 
 
 
 
 
井型に木材を組んで作られた櫓で、これも忠実に復元された戦国時代の櫓です。敵味方の動きを確認することができます。
実際に上まで登ることもができます。下の写真はやぐらからの眺め。
 
逆井城井楼櫓からの眺め

この方角の先、味方の本拠地「古河城」まで見渡せたことでしょう

 
その先は土塀があったであろう土塁が綺麗に整備されており、当時の城郭が想像できます。
この辺りは西側の「二の曲輪(くるわ)」だった場所です。
 
逆井城にの曲輪土塁から井楼櫓を望む

振り返って井楼櫓を望む

 
逆井城二の曲輪土塁

同じく振り返って二の曲輪の土塁を望む。右側は船着場をつなぐ川

 
逆井城二の丸と本丸の土塁

手前の「二の曲輪土塁」と堀を隔てて奥に「一の曲輪土塁」を望む

 
このまま「二の曲輪土塁」沿いに進むと、「一の曲輪土塁」にぶつかります。
 
逆井城本丸の空堀
 
画像左手が「一の曲輪」で本丸があった場所になります。
筆者は残念ながら時間の都合で本丸(「一の曲輪」)は見学せず。次回行って追記します!
堀は深さ4m、幅6-7mくらいあり、この先「一の曲輪」を囲うように続いています。
 
こちらは、復元された櫓門です。
この右側に突き出た土塁があり、塀の内側からも弓矢が打ち掛けられる構えです。二方向から攻撃できる構造(「横矢掛り」)は逆井城の至る所で見られます。
逆井城復元櫓門

二の曲輪から一の曲輪を望む(出典:Wikipedia、小池 隆 – 投稿者自身による著作物)

 
また、一の曲輪から二の曲輪(上記画像左から右)へ出ると四角い形をした「馬出(うまだし)」の遺構が残っています。堀は深さ2mと浅く、幅は4m程度。当時居城とした北条氏が改修したと言われる遺構です。
逆井城馬出し

馬出を北側から望んだところ(通ってきたのは南から)

 
逆井城馬出し西から

馬出を北西から望む

 
「馬出」とは、敵を迎撃するため、また味方の出撃を正面から隠すために考案された出入り口です。「四角い」馬出は「北条氏の城郭の特徴」の一つです。
「北条氏特有の城郭整備」については後述しますが、逆井城のおすすめスポットのひとつです。
 

戦国時代の同時期の建物がここに集結?

以下に紹介する3つは、元々は別の場所にあったものが逆井城跡に移築、または復元されている建造物です。
 
1、『観音堂』
茨城県岩井市「大安寺」より移築されたものです。戦国時代末期の1588年に建立されたもので、当時の建築様式をしっかり残しています。
逆井城観音堂

先程の「馬出」の付近(二の曲輪)にあります

 
2、『関宿城の城門(薬医門)』
『関宿城』は、現在の千葉県野田市にあり千葉県の最北端に位置しています(上記マップ参照)。
戦国時代における経済的・軍事的重要拠点でした。戦国時代の関東の覇者「北条氏康」は「この地を押さえる事は、一国を獲得することと同じである」と述べています。
ちなみに「薬医門」とは、本柱が門の中心線上から前にずれている門を指します。
 
逆井城薬医門

門自体も立派ですが、周囲の土塀があることでより戦国時代の雰囲気を感じます

 
3、『堀之内大台城の御殿』
『堀之内大台城』は現在の茨城県の南東部に位置する「潮来市」に建てられていた城です。その『大台城』の御殿と庭園が、ここ逆井城で復元されています。
 
逆井城復元主殿

『大台城』復元御殿(出典:Wikipedia、小池 隆 – 投稿者自身による著作物)

 
『大台城』は戦国末期の1596年に、有力大名「佐竹氏」が常陸国(現在の茨城県)南部の大名らを攻めるために築城した城です。やはり発掘調査をもとに忠実に再現されており趣があります。
とは言え、なぜ遠いこの地で復元されたのでしょう。
 
以上、これらは「二の曲輪」にあります。戦国時代の同時期の建造物を集めたテーマパークのような一角になっています。
 
もっと遺構を感じ取れる風景はたくさんあります。
ここで紹介しきれず残念ですが、あとは是非直接足を運んで戦国時代を体感してみてください!
 

『逆井城』は天然の要害だった?

『逆井城』がある茨城県西部は平地が広がる関東平野です。
 
城の周りも平地が広がっており天然の要害とはお世辞にもいえませんが、実際は「天然の要害」と言われていたようです。
 
その理由は戦国時代の地形に遡ると分かります。
逆井城の東から北側にかけて長さ30km、幅1kmに及ぶ「飯沼」という沼が広がっていたのです。
対岸の結城氏、多賀谷氏、佐竹氏などとの境目となっていました。
 
江戸時代に干拓されたようですが、現在でも城郭に船着場らしき跡も見れることから当時を想像することができます。
 

北条氏特有の整備拡張の跡をチェック!

『逆井城』は、室町時代に逆井氏が築城したのが始まりですが、時代が下り戦国時代になると北条氏の城となります。
 
北条氏は大規模な改修を行い、強固な城郭に整備拡張します。
城郭の拡大、曲輪の増強、「横矢掛かり」の櫓や土塀の増強、土塁や堀の強化など進化させました。
 
その中でも特におすすめしたいスポットがあります。
それは「北条氏特有のお城の改修跡」です。
 
一つは、先ほど紹介しました「四角い馬出」です。北条氏が「四角い馬出」が多いのに対して、「丸い馬出」が特徴だったのが武田氏(信玄)でした。
 
もう一つ特徴は「比高二重土塁」です。
これは、土塁をひとつではなく「二重」にしたもので、内側を高く外側を低くした土塁です。
 
敵の侵入速度を遅らせ迎撃のチャンスを増やせる防衛構造です。
 
この2つは「逆井城の魅力」としてチェックポイントです!
 

まとめ

茨城県西部に位置する『逆井城』を紹介しました。
決してメジャーで観光地的な城跡ではありませんが、その魅力が写真から伝わっていたら嬉しく思います。
 
とは言え、復元された櫓や土塀、櫓門など「百聞は一見にしかず」です。
また、歩いて容易に城郭がイメージできる「土塁」や「堀」、さらに北条氏特有の城郭改修技術である「四角い馬出」と「比高二重土塁」なども『逆井城』の魅力です!
 
このように見どころたくさんの城跡です。
歴史好きな方にはもちろんですが、友人同士やファミリーでも十分楽しめるのではないかと思います。
 
さらにこのお城の「歴史的な背景」も知ってから行くと、もっと楽しむことができます。
「逆井城の歴史」については、次の記事でご紹介します。史料が不詳な部分は筆者なりに補いつつ、なるべく分かりやすくご紹介できればと思います。
 
こちらは『逆井城』と同時期に存在し、関東の騒乱の中心的拠点だった城郭を紹介しています。
後北条氏が山内上杉氏や上杉謙信との対決に備えた重要拠点『鉢形城』をご紹介。
「日本3大奇襲」に数えられる後北条氏による「川越夜戦」の舞台『川越城』をご紹介。
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