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川越城(埼玉県)の城郭が想像以上に大きかった!!マップを重ねて驚きの規模を実感!

2023/03/25
 
川越城トップ
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ブログでは、20年間携わった高校生の進路支援の経験をもとに「専門学校の入試・選び方・学費」などを紹介しています。 また自身もデザインの専門学校に通学した経験から「40歳を超えて専門学校に通った経験」をまとめています。 そのほか、「旅行」、「鬼滅の刃」、「生活」、「戦国時代の武将や出来事」などについて紹介しています。 モットーはサザエの殻のように、ゆっくりだけど着実に大きくなれるよう人生を歩むことです!
今回は、日本の城100選に選ばれている埼玉県の名城「川越城」に行ってきました!
川越城は、関東の重要な拠点として君臨した名城で、特に江戸時代は規模を広げ大きな城郭を構えたお城です。
 
現在の川越城は『川越城本丸御殿』として江戸時代などの遺構が一部残されています。
「川越城の一部が残されている」というのは、現在は周辺が区画整備されており、住宅やお店が並び、過去の城郭の面影はほぼ残っていないのです。
 
せっかく大きな城郭を構えていたのに面影すらないのはちょっと悲しい!と思いました。
 
そこで!!
 
過去の川越城城郭を調べてその規模を再現し、それを現在のマップに重ね「過去の城郭の大きさ」を実感してみたいと思います!!
 
そうすれば川越城の城郭の規模が分かりますし、現在の市街地との位置関係が分かりますよね!当時の曲輪(城郭の階層)や門や櫓や道などの位置関係などもバッチリ理解できます!
 
これから「川越城を観光をしよう」とお考えの方に、川越城がより楽しめる予備知識になればと思います!
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川越城とは?その規模

まずは川越城を簡単に紹介します。
 
1457年に、太田道真(太田道灌の父)らが築城したお城です。当時関東は戦国時代に突入する前からいざこざが起きており、関東南部を見据えた拠点として作られました。
 
戦国時代は北条氏によって支配されましたが、豊臣秀吉の関東攻めにより降伏・開城。
 
江戸時代では松平氏が川越城主となり、以下のように拡大整備しました。
・本丸、二の丸、三の丸、追手曲輪、新曲輪等の曲輪整備
・3つの櫓の整備
・13の門の整備
 
そして、総面積9万9千坪(約32.6万m2)の規模の巨大な城郭が完成しました!
 
この城郭がほぼ残されていないんですよね。だから観光してもその規模が伝わらない、、笑
 
ですので、この城郭を現在のマップに重ねてその規模が実感できるようにしてみます!
 
まずは城郭の規模を調査して参ります!!
 

取りあえず「川越城本丸御殿」に潜入調査!

取りあえず、川越城の規模がMAXどのくらいあったのかを調査すべく、「川越城本丸御殿」に行ってきました。
 
正面の玄関は、「川越城本丸御殿」の象徴ですね!名城としての威厳を放っています!
 
川越城玄関

巨大な唐破風屋根が特徴の威厳ある玄関

 
「川越城本丸御殿」は玄関、大広間、家老詰所など見どころがいろいろあります。
ただ規模は小さいので20〜30分程度で見学できるかと思います。
 
川越城廊下

廊下

川越城家老詰所

家老詰所

 
「本丸住居絵図」が飾ってありましたが、当時は現存する住居跡の7、8倍あったようです。まじまじと見てると想像が膨らみます。
 
川越城城内地図

『本城居住絵図』赤く囲ってある部分が現存

 

川越城城郭マップを発見!想像以上の大きさ!

そしてついに発見しました!川越城の規模を示すマップが!
 
城郭が大きい!!川越城の規模の大きさがビシバシと伝わってきます!!
曲輪も多いし、市役所の方がメインの門だったのか、、。
 
川越城城郭マップ

川越城の城郭全体マップ

 
過去の城郭が判明しましたので、早速現在のマップと過去の川越城の城郭を重ねてみて、その規模をご紹介したいと思います!
 

実際のマップと川越城を重ねてみた!その規模とは?

まずは、、こちらが現在のマップ。
中心からやや東側(右)に「川越城本丸御殿」があります。その右側に野球場があります。
 
川越市マップ
 
そして、先ほど紹介しました川越城城郭を簡易なイラストにしました。
川越城
これを重ねてみます!
 
、、、デデーン!!!
 
川越城重ね
 
想像以上に大きい!!!
 
 
位置関係をみるためにちょっと透過します!
 
川越城重ね_透過
 
いかがでしょうか?
 
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、西は現在の市役所辺りに「西大手門」を構えており、東は野球場あたりまで続いている規模です。
画像左端には「時の鐘」がありますが、現在の蔵造りの街並み・駄菓子横丁などの観光地となります。
 
「中ノ門堀」「富士見櫓」があるかと思いますが、これは後述いたします。
 
 
「川越城本丸御殿」の見た目からは想像できないほど大きい城郭だと分かりました!
きっと車や自転車で城郭を巡ってみたら、もっと実感できて楽しいと思います。
 
「日本の城100選」に選ばれる名城だけはあるなあ、と納得しました。
「日本の城100選」とは全国の名城100の城をめぐるスタンプラリー帳です。解説もあってお城好きには楽しい本ですよ!全国制覇しましょうー!

 

川越城の遺構も見方変われば納得の存在感!!

現存する遺構が、「川越城本丸御殿」付近にちらほらあります。
 
「富士見櫓跡」「中ノ門堀跡」は遺構、その他ちらほらと石碑が点在しています。
ただ城郭が残っていない上に、道路沿いや住宅街にポツンと存在するだけなので、素通りしてしまいます、、。
 
ですがマップを重ねて確認できたことで、遺構や石碑が城郭内でどの位置にあったのか?そこにある意味はなにか?などが分かって魅力ある遺構に映るのではないでしょうか?
 
ちなみに、「富士見櫓跡」は小高い丘に設けられていることがわかりますが、「南方や西方を望める位置にあり、敵の動きを監視できる場所だ」ということも分かります。
 
富士見櫓

富士見櫓登口(出典:Wikipedia)

 
「中ノ門堀跡」は大手門から本丸に続くメイン通りをあえて「己」の字形のようにくねらせていることが分かります。
 
「敵の進軍速度を落とした上で城内から弓で攻撃する場所で、さらに堀から進もうとすると土塁から弓で射ることができるよう設計されている」と解説文がありますが、そのことがよく理解できます。
 
中の門堀

中ノ門堀

 

まとめ

以上が今回のご紹介となります。
 
このように実際の川越城を現在のマップに重ねてみたら、その規模や城郭の位置を理解することができました!
 
改めて川越城の城郭が大きいことがお分かり頂けたのではないでしょうか。
お城好きな方、川越に遊びに行こうと考えている方に参考になれたら嬉しく思います!
 
 
筆者は、歴史好きなので歴史的観点で以下もご紹介しています。よろしければドライブのお供にご参考くださいませ。
 
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