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鬼滅の刃「甘露寺」姓の由来を検証!史実の甘露寺家と藤の花。

2023/03/25
 
甘露寺蜜璃
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『鬼滅の刃』に登場する「甘露寺蜜璃」。
 
「甘露寺」いう名字が気になり、その由来を調べようと思いつきました。
 
すでに甘そうで美味しそう名前ですが、調べてみると意外なことに、平安時代の超有力貴族に辿り着きました。
 
そこから、「藤原北家」、「藤の花の家紋」、「産屋敷家」、「甘露寺親長」、「貴族」などいろいろな人物や出来事に関連していきました。
 
『鬼滅の刃』と直接関係のない事もありますが、「甘露寺」という名前の由来を紹介したいと思います!
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「甘露寺蜜璃」の紹介

「鬼滅の刃」で登場する甘露寺蜜璃を簡単に紹介します。
 
所属/鬼殺隊恋柱
 
呼吸/恋の呼吸
 
女性/19歳
 
身長・体重/167cm・56kg
 
出身地/東京府麻布區飯倉
 
誕生日/6月1日
甘露寺蜜璃 フィギュア

Figuarts mini 塗装済み可動フィギュア(Amazon)

鬼殺隊に入隊した理由は添い遂げる殿方を見つけるため。可憐ですね!

趣味は料理とめんこ、めんこは負け知らず。
 
筋肉が通常の人間の8倍備わっている。
 
食欲も並外れていて髪の色は桜餅の食べ過ぎで変色している。
 
恋に恋するような乙女でありながら鬼殺隊としての信念を全うしていく姿や、可憐なのに並外れた食欲を見せたりする姿がギャップになっていてとても魅力的なキャラクターです。
 
禰豆子とじゃれ合うシーンも可愛いですね!
 

「甘露寺」の名称から辿ってみる!

さて、そんな魅力あふれる「甘露寺蜜璃」ですが早速「甘露寺」という「名字」を調べてみたいと思います!
 
「甘露寺」という名称を辿ると「お寺」「人名」にたどり着きます。
 

「お寺」を調べる!

既に有名な「お寺」があります!
 
和歌山県紀の川市にある浄土宗寺院「甘露寺」です。
 
 
同名ということからいち早く聖地となったようです!
 
映えスポットのセットや「鬼滅の刃」仕様の御朱印、などがありとても人気。
 
住職の方も全巻読破されているようで、力の入れようが随所に見れます。
 
最寄りの「甘露寺前駅」含め周辺は「恋の聖地」として演出されています。
 
近ければ行ってみたいところ!!
 
そのほか「甘露寺」と名の付く寺院が栃木県や静岡県にもあります。そちらも聖地になっているのでしょうか?
 

「人名」を調べる!

「甘露寺」という名前を調べると、何と平安時代の公卿「甘露寺家」に行き着きます!
 
鬼舞辻無残も平安時代から生きていることを考えると「鬼滅の刃」と共通点を見出せそうな気がします。
 
以下から「甘露寺家」の簡単な紹介と「甘露寺蜜璃」を彷彿とさせる逸話がないか調べてみたいと思います。
 

史実の「甘露寺家」と「甘露寺蜜璃」との関係

「甘露寺家」は古くを辿ると飛鳥時代まで遡ります。
 
藤原不比等(飛鳥時代の人で藤原氏の始祖「藤原鎌足」の弟)の次男藤原房前(藤原北家)を始祖としています。
 
藤の花
 
つまり「甘露寺家」は天皇に仕える公家で、その中でも高級貴族だということです。
 
その「甘露寺家」は、時代が下った「鬼滅の刃」で描かれる大正時代にも「貴族(華族)」として存続されています。
 
甘露寺家は、明治時代に「華族」に列し「伯爵」を授けられ、大正天皇の御学友として、また侍従次長・掌典職として大正・昭和天皇に仕えていらっしゃいます。
 
約1300年間、天皇に仕える家系です!!
 
「鬼滅の刃」のストーリーにおいても「甘露寺蜜璃」は「貴族(華族)」の可能性が指摘されていました。
 
残念ながら「貴族(華族)」と断定はできませんが、モデルにされた可能性がゼロではないと思います。
 

家紋でつながる「藤原北家」と「産屋敷家」

また、藤原北家の家紋に注目すると「下り藤」です。
 
藤の花が家紋です。
 
家紋

下り藤家紋(出典:Wikipedia)

 
「鬼滅の刃」では、藤の花の家紋を持つ家は鬼殺隊を支援しています。
藤の花の家紋

鬼滅の刃 藤の花の家紋(Amazon)

 
炭治郎たちが産屋敷耀哉の指示によって「藤の花の家紋を持つおばあさんの家」で休養するシーン。
 
そこは立派なお屋敷で貴族を思わせる佇まいでした。おばあさんも気品があり食事も豪華でした。
 
また、産屋敷家の人々が高貴さ放っています。耀哉の声に炭治郎も「ふわふわ」してしまいますし、やはり産屋敷家全体も立派です。同族の鬼舞辻無残も浅草では「貴族(華族)」を彷彿させる姿をしていました。
 
このことから、「産屋敷家」と「藤の花の家紋を持つ家」は「藤の花の家紋」で通じていますがこれらのモデルは「下り藤家紋」を持つ「藤原氏」ではないか?と推測します。
 

「甘露寺姓」の由来とは?

さて、実は「甘露寺家」は飛鳥時代から「甘露寺家」を名乗ってはいません。「藤原北家」は平安時代を経て、鎌倉時代に入って、多くの分家に分かれて行きました。
 
その1つが「甘露寺姓」でした。
 
「かんろじ」と言う名前ですが、この4文字はどこから来たのか気になります。
 
これは先祖が建立した「甘露寺」という寺院にちなんでつけた名字、ということのようです。
 
もう存在しないようなので残念ですが「お寺が名字の由来」と言うことが判明しました!
 
その後の甘露寺家は、前述した通りです。
 
ちなみに上記で紹介した和歌山県の「甘露寺」は江戸時代に建立されており直接関係はないようです。まあ、細かいことは気にしなくて良いですね!
 

公卿「甘露寺親長」の登場

ここでひとつ、事件に巻き込まれた「甘露寺氏」が刀を抜いて必死で戦ったエピソードを紹介します。
 
室町時代に、日記『親長卿記』を書き残した甘露寺親長という人物がいます。
 
幼名が可愛くて「めめまる」です。通称「めめ」です。
 
わずか10歳で家督を継いで天皇に仕えます。
 
甘露寺家の仕事は、実務的な記録や文書の作成、日記の記録や書写や部類記の作成を専門的に行っていました。
 
武士ではないので刀を振り回すこはありませんでした。
 
しかし、1443年に事件は起きます。
 
なんと天皇の証「三種の神器」強奪事件が発生するのです!
 
天皇に仕える親長にとっては一大事です!
 

甘露寺!刃を振るって守れ!

鎌倉時代後半以降、日本に天皇が2人存在する南北朝時代を迎えましたが、室町時代の1392年に足利義満によって統一がなされました。
 
しかし1443年、約定が履行されないと不満を持つ反対勢力(源尊秀ら)が蜂起し、後花園天皇の御所を襲撃し三種の神器を強奪してしまったのです。
 
三種の神器

三種の神器 ※イメージで実物ではありません (出典:Wikipedia)

 
状況は以下のようです。
 
いきなり敵の計略にはまってしまい、多くの味方が離れた場所に誘導されます。「三種の神器が納められている屋敷」は、甘露寺親長を含め数える人数しかいなくなりました。
 
すると40人の敵が押し入ってきたため甘露寺親長は刀を振るって応戦します!
 
しかし普段刀を振るうことのない親長は徐々に武士に押され、ついに三種の神器のうち「剣」と「璽」を奪われてしまいます!
甘露寺蜜璃 刀

※ちなみにこちらは甘露寺蜜璃の日輪刀(Amazon)

ただ、なんとか親長や天皇の命は助かりました。
 
この大事件は、「禁闕の変(きんけつのへん)」と言われます。
 
「三種の神器」は天皇の証であり奪われてはならないもの。親長は慣れない刀を振るい、必死に守ろうとしました。
 
『鬼滅の刃』で甘露寺蜜璃も上弦の鬼や鬼舞辻無残との戦いで必死に仲間を守り鬼を倒そうとする姿があります。
 
もしかしたら力及ばないかもしれないけど、命ある限り戦い抜きます。
 
この2人の「甘露寺」に何か重なる部分を感じました。
 
ちなみに三種の神器は最終的に全て戻ってきました(1457年)。ほっ。
 

まとめ

甘露寺蜜璃の「甘露寺」の名字の由来を調べました。
 
以下に要約しようと思います。
 
 
・「甘露寺」と言う寺院がすでに聖地として人気
 
・「甘露寺家」という貴族(華族)が存在
 
 
「甘露寺家」と「甘露寺蜜璃」の関係
「甘露寺家」は、藤原不比等の次男を先祖として約1300年間、天皇家に使える高級貴族だった
 
「鬼滅の刃」の舞台である「大正時代」も貴族(華族)だった
 
甘露寺蜜璃も「貴族(華族)」の可能性があることから「史実の甘露寺家」がモデルかも?
 
「産屋敷家」と「藤原北家」をつなぐ「家紋」
「藤原北家」の「下り藤家紋」に注目し、鬼舞辻無残含める「産屋敷家一族」と「藤の花の家紋を持つ家の人」は藤原北家をモデルにしているのではないかと推測
 
「甘露寺姓」の由来
史実の「甘露寺氏」は鎌倉時代に「甘露寺」を名乗る
 
その由来は、先祖が建立した「甘露寺」という寺院名からとったと判明!
 
史実の甘露寺氏も刀を振るって戦った
室町時代の「甘露寺親長」は、禁闕の変で三種の神器を死守するために刀を振るって戦った
 
筆者は甘露寺親長が「大切なものを守る」戦いから、『鬼滅の刃』で描かれる甘露寺蜜璃と重なる部分を感じた
 
以上です。
 
作者の小峠呼世晴さんが史実の「甘露寺家」をモデルにしたかは不明ですが、いろいろ近い史実を知ることができました。
 
 
こちらでは「胡蝶しのぶ」について、ストーリーの由来を紹介しています。
「鬼滅の刃を子供に見せて良いかどうか」についてまとめた記事です。
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ブログでは、20年間携わった高校生の進路支援の経験をもとに「専門学校の入試・選び方・学費」などを紹介しています。 また自身もデザインの専門学校に通学した経験から「40歳を超えて専門学校に通った経験」をまとめています。 そのほか、「旅行」、「鬼滅の刃」、「生活」、「戦国時代の武将や出来事」などについて紹介しています。 モットーはサザエの殻のように、ゆっくりだけど着実に大きくなれるよう人生を歩むことです!

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