『麒麟がくる』に蘭奢待が登場!信長が欲する理由と過去ドラマの描写
2023/03/25
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モットーはサザエの殻のように、ゆっくりだけど着実に大きくなれるよう人生を歩むことです!
前半(『蘭奢待が「麒麟がくる」に登場。「蘭奢待」と「香木」のちょこっと知識。』)では、「蘭奢待」の紹介と「香木」の歴史について紹介しました。
後半では、何故信長が「蘭奢待」を欲したのか?、また入手後の効果や変化、大河ドラマ『信長』に描かれたシーンについてを紹介したいと思います。
目次
織田信長が欲した理由
なぜ織田信長が「蘭奢待」を欲したのでしょうか?
一つには「天下人」の証を形で示したいという「名誉心」があったと思います。
名誉心が強いことは「ルイス・フロイス 」の記録に記載されています。
もう一つはより現実的に「支配力強化の狙い」です。後述しますが、信長にはまだまだ強力な敵が存在しており、味方を増やすためにも「権威付け」を必要としていました。
信長は「茶道」に熱心だったことは有名ですが、「香道」にも熱心でついに「蘭奢待」が欲しくなってしまった、と言う話は聞きません。「香道の趣味」が高じた訳ではなく「権威付け」のための入手です。
もともと蘭奢待を代表とする香木は、高級貴族の間で流行しその後「香道」として大成されたものですが、いつから「権威付け」という物騒なものに変わっていったのでしょうか?
権威をその手に!ー奢った武士が東大寺の秘宝を欲するー
「権威付け」になったのは、足利将軍家が支配した室町時代のことです。
「蘭奢待」という名称も室町時代に付けられました。
よく見るとその名には「東・大・寺」の3字が隠されています。
また「奢」は「奢(おご)り」、つまり天皇でも貴族でもない武士が「黄熟香を切り出したい」と天皇に奏請(要求)する恐れ多い行為を指しています。
「奢った武士が東大寺の秘宝を欲する」という意味ですね。
とは言え、足利幕府の脆弱な権力にとって、「さらなる権力付け」が必要でした。
「さらなる権威付け」とは、他の武家や公家も追随できない「天皇を動かせる権力」です。
そこで「他が追随できない絶対的権力者である」ことを宣言するため「蘭奢待を所持する」ことを行ったのです。
「蘭奢待」を所持するためには天皇の許可が必要でした。
足利将軍は「蘭奢待」の切り出しを奏請するようになります。
「蘭奢待」を入手した将軍と、土岐頼武?
足利家15代の中で実際に入手した人物は3人います。
3代義満と、6代義教、8代義政です。
3名とも歴史にその名を刻んだ有名な将軍ですね。
このほかにも多くの将軍が欲しがりましたが天皇の許可は下りませんでした。
15代の足利将軍を並べて考えると、ほぼ不安定だった政権にも関わらずこの3名の代は、良し悪しありますが安定させた政権だったと言えます。
「蘭奢待」の効果があったのかもしれません!
なお、足利家以外になぜか美濃国の大名「土岐頼武」が1530年に入手しています。
守護職をめぐって土岐家同士の戦争に明け暮れた武将です。
有力大名だったとは言え「蘭奢待」を入手できた根拠がすごく気になります笑。
また土岐氏と言えば支流である明智光秀。
光秀の誕生が一説では1516年ですので当時を逆算すると14才。
見たことはないにしても噂くらい耳に入っていたのかもしれません。
何れにしても、天皇をも動かすことができる「絶対的権力の象徴」として「蘭奢待」が1つのカードになったと言えます。
信長に「蘭奢待」が必要だった理由
信長が欲した理由も室町幕府の将軍達と同じで、「更なる権威付け」です。
背景としては、足利義昭を追放し、朝倉・浅井の滅亡させ破竹の勢いでしたが、依然畿内には本願寺勢力など反対勢力が強く織田政権が安定している状況ではありませんでした。
『麒麟がくる』では朝倉義景や摂津晴門が感情的に「田舎侍のくせに」と蔑視していましたが「畿内の旧態依然を破壊して新体制を構築しようとする信長を毛嫌う」者は多かったと思われます。
そんな反対勢力は「協調」ではなく「服従」させる必要がありました。
そのために圧倒的権力を見せつけようと考えます。
それが「天皇をも従わせることができる権力」の行使、つまり「蘭奢待の所持」です。
※実際に信長が天皇・朝廷を高圧的に支配しようとしていたのか、それとも協調性を保って朝廷権力を利用しようとしただけなのかは議論が分かれています
ついに信長が「蘭奢待」を所持、その効果や変化とは?
信長はついに1574年3月に「蘭奢待」を入手します。
「蘭奢待」が納められている正倉院に直接入ることは恐れ多いと信長は多聞山城に運び入れるよう手配します。
朝廷や東大寺に対して、手続きの順序や礼節はよく尽くしていたと言われます。
そして城内にて先例に習い5.5㎝を切り取りました。
ついに天下の名宝「蘭奢待」を入手!
「天下人」であることを宣言しました。
信長はその半分を正親町天皇に献上しています。
正親町天皇は、九条稙通や毛利輝元などに分け与えました。
信長も茶人千利休、今井宗久、津田宗及などに分け与えました。
信長は、敵対勢力に打ち勝つため、主要な人物に分け与えて勢力基盤固めに役立てました。
「蘭奢待」を所持したこととの因果関係はわかりませんがこの後、同年に長島一向一揆を殲滅、1575年に長篠の戦いで武田勝頼を殲滅しています。
また同年権大納言・右近衛大将に就任し公家・寺社の知行地の管理掌握から天皇の威光を利用した織田政権の安定を目指すことになり、名実ともに「天下人」となりました。
1576年には豪華絢爛な安土城の築城を開始します。
「蘭奢待」を切り取った者への呪い?
これは調べている過程で偶然気がついたことなので、根拠がないことを断っておきます笑
なんと「蘭奢待」を手に入れた人物は、50才を手前に死亡いるのです。
足利義満:満49歳
足利義教:満47歳
足利義政:満54歳 ※唯一50歳超え
土岐頼武:49歳
織田信長:49歳
何か怖くないですか?
後に徳川家康も「香木」を愛していましたが「蘭奢待」を切り取ることは不吉として手をつけませんでした。(信長が横死したことと「蘭奢待」を所持することを関連づけていた)。
何か昔から曰く付きだったのでしょうか、、。
ちなみに、家康は代わりにタイやベトナムから100kgの「沈香」を輸入しています。
大河ドラマ『信長』での「蘭奢待」切り取りシーン
最後に、大河ドラマ『信長』(緒方直人さん主演)の時の「蘭奢待切り取りシーン」を紹介します。
「ー信長は恐れを知らない希望を朝廷に申し入れたー」というナレーションで始まります。
屋敷に公卿飛鳥井雅春(雅教)を呼んだ信長は「蘭奢待を分けて欲しい」と率直に伝えます。
驚き戸惑う雅春と家臣たちに構わずこう続けます。
「天下の香木蘭奢待とは如何なる香りするものかきいてみたい」
冷や汗をかいている雅春がやっと「将軍義政以降、将軍の要望があっても100年以上封印されてきたもの」であることを伝えます。
信長は、ニヤリと笑みを浮かべ「是非、お分けくだされ。」と静かに言い放ちます。
シーンは多聞山城に移ります。
「信長殿は、この時ほど天下に立つ自分を感じたことはなかったでしょう、天皇まで自分の言いなりだったからです。」とナレーションが入ります。
張り詰めた緊張の中、東大寺僧侶が長持から「蘭奢待」を開封し、ノコギリとミノで切り出した「蘭奢待」を信長に献上します。
同席していた雅春はあまりの恐れ多い所業を目の当たりに失神し倒れてしまいます。
家臣からは拍手が起きます。
満足そうな信長は「蘭奢待」をおもむろに取り上げ香りをかぎ、これからの目標を定めるかのような眼差しで正面を見つめて終わります。
個人的にはこの緒方直人さんの信長がとても好きです。常に冷静で合理主義を貫いており、それに反したことがあると突如激昂し家臣や周りを震い上がらせます。しかし荒武者のような威圧感はなく筆者のイメージ通りの信長です。すみません、個人的な話でした笑
※大河ドラマ『信長』第37回「天下を取る」より
追記)『麒麟がくる』では、上親町天皇の意地が垣間見えました。信長が敵対する毛利に「蘭奢待」を送ることを心配した三条西実澄に対して「朕の預かり知るところではない。」と言いました。
あとがき・まとめ
「蘭奢待の所持」は、室町時代「権威」の象徴となりました。
それは「絶対的な権力」を示すための手段として行われました。
しかしどの将軍でも叶ったわけではなく、将軍家では義満・義教・義政の3名のみでした。
信長にとってはそれが「蘭奢待の所持」の意義を大きくしたのかもしれません。
信長は足利幕府を京都から追放し畿内に織田政権を築いていきますが依然として反対勢力も強力です。
そこで「蘭奢待の所持」を奏請し天皇は許可しました。
「蘭奢待の所持」=「天皇をも支配できる絶対的権力者である」ことを内外に宣言しました。
また入手した「蘭奢待」を分け与えることで勢力基盤を固めていきました。
過去の大河ドラマでの「蘭奢待シーン」も紹介しました。
『麒麟がくる』は終わりましたが、織田信長がメインのドラマでは「蘭奢待シーン」は欠かせません。
今後もどのような描かれ方をするか楽しみです!
以下では関連する記事を紹介しています。
「蘭奢待」とは何か?を紹介しています。
『麒麟がくる』の「番外編」の可能性を紹介しています。
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また自身もデザインの専門学校に通学した経験から「40歳を超えて専門学校に通った経験」をまとめています。
そのほか、「旅行」、「鬼滅の刃」、「生活」、「戦国時代の武将や出来事」などについて紹介しています。
モットーはサザエの殻のように、ゆっくりだけど着実に大きくなれるよう人生を歩むことです!