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【前編】摂津晴門は何者?『麒麟がくる』で描かれない生涯を徹底調査!

2021/02/22
 
摂津晴門前編
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ブログでは、20年間携わった高校生の進路支援の経験をもとに「専門学校の入試・選び方・学費」などを紹介しています。 また自身もデザインの専門学校に通学した経験から「40歳を超えて専門学校に通った経験」をまとめています。 そのほか、「旅行」、「鬼滅の刃」、「生活」、「戦国時代の武将や出来事」などについて紹介しています。 モットーはサザエの殻のように、ゆっくりだけど着実に大きくなれるよう人生を歩むことです!
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で突如登場した「摂津晴門」。
 
今回登場する人物の中で最も悪人という設定のようで、のっけから幕府を我が物同然にしきり始め、義昭の恩人である信長を貶めようとあらゆる手段を講じていきます。
 
片岡鶴太郎さんの演技も悪さ爆発です笑。演技が最近人気だったドラマで見たことがあるような気がしますがそれは後述で。
 
「天下の梟雄」と言われた松永久秀が紳士に見えるほど悪人っぷりを見せていますが、「摂津晴門って何者?」と思われた方も多いのではないでしょうか。
 
ここではそんな摂津晴門の人生に迫り、『麒麟がくる』で描かれていない晴門を紹介してドラマがもっと楽しめるよう解説したいと思います。
 
「前編」と「後編」に分かれており、まずこちらでは「前編」として、そもそも摂津晴門は何者かについて出自などから紹介していきたいと思います!
 
 

摂津晴門って何者?

そもそも「摂津晴門」って何者なのでしょう?
 
具体的に調べて紹介したいと思いましたが、実は史料が少ない人物で生まれも死亡もわかっていません笑。
 
筆者の好きな「信長の野望」でも登場しませんのでマイナーな部類ですね。
 
略歴が少しわかる程度で人物像が掴めないため、ドラマで描かれるような「悪人」だったのかも分かりません笑。
 
ですがせっかく『麒麟がくる』で450年ぶりに歴史の闇から陽を浴びた訳なので、少しでも摂津晴門が理解できるよう紹介したいと思います!
 

天皇家の外戚だった!?摂津氏の先祖に迫る

「摂津氏はそもそも何者?」という疑問に答えると、なんと神武天皇(日本の初代天皇)に帰順した有力氏族(十市氏)まで遡ります(『古事記』)。
 
すごい!
 
天皇家(孝元天皇)の外戚という家柄で古代から朝廷に仕えていました。
 
「平安時代」では中原氏を名乗り、明経道(儒学)や明法道(法律(律令))の家柄として重く用いられました。
 
「悪人」の要素が全くありません笑
 
この中原氏は平安時代以降いくつかに分かれていきます。その傍流の1つが摂津氏にたどり着きます。
 

高級官僚として時代を駆け巡る

鎌倉幕府ができると朝廷から下向し将軍の側近として幕府体制の基盤を作り、名前も藤原氏、摂津氏と姓を変え、家学のみならず高級官僚として活躍しました。
 
「摂津」の姓はどこから来ているのでしょうか?
 
それは代々「摂津守」を叙任されていたためそれを名字にしました。
 
その後京都に場所を移した室町幕府においては、3代将軍足利義満の外戚となり、8代将軍義政の代では重臣として勢力を伸ばし、そして13代将軍義輝・15代義昭に仕えた摂津晴門へとつながっていきます。
 
元の家系が高貴であり歴史が下っても主要なポジションにいた名門ということが分かります。
 
『麒麟がくる』では争乱の舞台が畿内ですが、摂津晴門が登場していきなり幕府や畿内をかき回せたのは大きな勢力基盤を室町幕府初期から持っていたからだと分かります。
 
次ではその勢力基盤として与えられた仕事の内容を見てみたいと思います。
 

摂津氏は「政所頭人」ではない?

『麒麟がくる』では「政所頭人」という幕府における財政・領地訴訟部門のトップとして登場しますが、本来は違います。
 
摂津家は代々、以下のような仕事を任されていました。
 
 
官途奉行=武家への叙位任官を職掌。幕府の財源となっており極めて重要な職務
 
地方頭人=京都市中の屋敷地の安堵・訴訟・打ち渡などの土地に関する行政
 
神宮方頭人=朝廷に代わって伊勢神宮の政策を執り行う職務
 
洛中洛外図屏風

洛中洛外図屏風(出典:Wikipedia)

 
 
幕府の財源を担っている点や、京都市中に深く関わっていた点から幕府内でかなり重要なポジションにあったことが分かります。
 
このほか、将軍就任式の奉行や将軍後見(養育)なども務めており将軍家から信頼が厚かったことも分かります。
 
ということで、摂津家は代々「政所頭人」は務めていないのです。
 

摂津晴門以上に幕府を牛耳った幕臣

「地方頭人」は「政所」から独立した機関だったようですが、官途奉行は「引付方」の管理下でした。
 
つまり晴門をはじめ摂津氏のポジションからしても「政所頭人」は高位のポストでした。
 
幕府組織図
 
では摂津氏よりも高い地位にいた政所のトップの「政所頭人」は誰が務めていたのでしょう?
 
それは「伊勢貞孝」という人物です。
 
伊勢氏は、一部例外があるものの、「政所頭人」を約80年間11代に渡り世襲してきました。
 
その権力は絶大で将軍の決定を覆してしまうほど強く、幕府は実質伊勢氏に支配されていました。
 
 
『麒麟がくる』では描かれていませんが、足利義輝はそんな伊勢貞孝と対立し三好長慶らが討伐します。
 
ドラマでは三好長慶が病没する前あたりでしょう。
 
そして伊勢氏が失脚したため、足利義輝が摂津晴門を「政所頭人」に任命したのです。
 
この直後「永禄の変」が起こってしまいます。
 
そう考えると、向井理さんが演じた足利義輝の最期のシーンで片岡鶴太郎さんも共に戦ったシーンがあってもおかしくなかったと言えます。
 
※「永禄の変」についてはこちらを参照ください→『松永久秀が足利義輝を殺害?久秀の難しい立場と義昭に紡ぐ運命。』
 
次では、刻々と変化する畿内情勢の中、摂津晴門がどのような人生を送ったのかを略歴と共に見てみたいと思います。
 
その中でドラマで描かれる摂津晴門が、なぜ憎いほど「悪人」を演じているのか?についても考えてみます。
 
また、摂津晴門がどのような人物だったのかを勝手ながら推測していきたいと思います。
 
 
 
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