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信長と明智軍の激戦!新説に記録された本能寺のリアル!

2023/03/25
 
本能寺の出来事 トップ画像
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ブログでは、20年間携わった高校生の進路支援の経験をもとに「専門学校の入試・選び方・学費」などを紹介しています。 また自身もデザインの専門学校に通学した経験から「40歳を超えて専門学校に通った経験」をまとめています。 そのほか、「旅行」、「鬼滅の刃」、「生活」、「戦国時代の武将や出来事」などについて紹介しています。 モットーはサザエの殻のように、ゆっくりだけど着実に大きくなれるよう人生を歩むことです!
明智光秀が起こした本能寺の変。
 
本能寺の変については様々な史料がありますが、真実は掴めていません。
 
そんな中、信憑性が高いとされる「新説」が発表されました!
 
この新説の概要については、まとめて「以前の記事(2021.1.6)」で紹介しました。
 
それから3週間後、今度は詳細な情報が入手できましたので、改めて紹介しようと思います。
 
内容は本能寺での信長と明智軍の激闘シーンです。
 
本記事で紹介する「明智軍と信長の激戦」「信長が女房たちを逃す行動」からは、本能寺内で起きた出来事の臨場感や緊迫感を感じることができます!
 
それでは早速、覗いてみましょう。
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本能寺の変の新説とは?

最初に、本記事を読み進めるために、基本的なポイントを以下に紹介します。
 
新説『乙夜之書物(いつやのかきもの)』の解読について
・史料の中の「本能寺の変」に関する記述が一部分解読された
 
・本能寺の変から87年後にまとめられた文書
 
・本能寺の変に参加した斎藤利宗(斎藤利三の三男、当時16歳)が語った内容
 
 ・門外不出だった文書で信憑性が高いとされている
 
本記事で詳細を紹介する内容
「信長と明智軍の戦闘シーン」= 明智軍の突入と信長たちの応戦
 
「信長が女房を逃すシーン」= 信長が戦闘中に畳を立て掛けて女房を逃した
 
これから紹介する「信長と明智軍の戦闘シーン」と「信長が女房を逃すシーン」は、以前紹介した記事(2021.1.6)よりずっと詳しい内容となります。
 
本能寺の変画像

本能寺焼討之図(出典:Wikipedia)

 
本能寺で何が起きていたのか?そのリアルなシーンを見てみましょう!
 

リアル!信長と明智軍の戦闘シーン

前回の記事で、光秀が鳥羽に待機していたことを紹介しました。
 
実際に攻めたのは斎藤利三と明智秀満と書かれています。
 
これは、他の史料を見ても「利三」や「重臣」が先発隊と書かれていて、光秀が先発とはしていません。
 
そして彼らがついに本能寺に突入します!
 
以下が『乙夜之書物』にある戦闘シーンです。
 
【大意】明智秀満と斎藤利三は2千騎で本能寺へ押し寄せたところ、夜はほのぼのと明けていた。光秀軍は門を打ち破り、中へ乱入した。敵は早くも門内へ駆け込み、みなが槍を手に取って、縁の上下で攻め合い、織田信長公は白い帷子(かたびら)を着て、乱れ髪でお出ましになられ、弓で庭に押し寄せた敵を引きつけていたが、使っていた弓の弦が切れたと見えて、弓を投げ捨て十文字槍を手にとってやり合った。傷を負って白い帷子に血がかかったっと見え、槍を捨てて奥へお入りになられ、ほどなく奥の方から火の手が上がった。(『朝日新聞朝刊(2020.1.31)』より抜粋)
※帷子(からびら)は寝間着です。風通しの良い綿素材の着物。
 

「信長と明智軍の戦闘シーン」の考察

かなりリアルで緊迫感ある描写ではないでしょうか?
 
ドラマのワンシーンのように感じます。
 
『乙夜之書物』は明智軍が侵入した時の第一発見者についても書いており、「水を汲みに出てきた召使い」としています。
 
全体の流れを見ると、意外にもドラマで描かれる信長の通りですね。
 
明智軍との戦いで弓の弦が切れると槍で戦い、傷を負って奥に引き上げて火をかける、という一連の流れ。
 
ちなみに傷を負ったのは肘で、『信長公記』では槍傷、『日本史』では鉄砲とあります。
 
『日本史』では鉄砲の前に弓矢で背中を撃たれ、それを引き抜いて戦ったとしています。
 
細かい部分でも史料によって異なるので、面白いですね。
 

信長が女房を逃すシーン

信長が女房たちを逃した、という記録は様々な史料に見られます。
 
そして畳を立て掛けて逃した、という記述もいくつか見られます。
 
『乙夜之書物』に書いてある内容は、本能寺から逃れた女房から聞き取ったものになります。
 
以下に紹介します。
 
【大意】傷を負った信長公が御殿の居間へ退いたところ、台所から出たとみられる火で煙が近づいてきた。何を思ったのか信長公は、畳を四方に立てて、そこにいた四、五人の侍女たちに「いずれも出よ、出よ」と退出を命じられた。(『朝日新聞朝刊(2020.1.31)』より抜粋)

「信長が女房を逃すシーン」の考察

女房たちを逃そうと必死になった姿が見られますね!
 
「何を思ったのか」と記述されている部分。
 
畳を立てたのは、女房たちが煙を吸い込まずに生きて逃げられるように、とった避難処置だったのでしょう。
 
明智軍が近づく中、自らも傷を負いつつ女房の救出にかかるという緊迫感!
 
『乙夜之書物』の解読によってこの「畳を立てた」行為は信憑性を増したのではないでしょうか。
 

まとめ

以上が『乙夜之書物』に書かれた詳しい内容の紹介です。
 
いかがでしたでしょうか?
 
本能寺の変における明智軍と信長の戦闘は臨場感と緊迫感が感じられたのではないでしょうか?
 
女房たちを逃すシーンも緊迫していました。
 
まだまだ『乙夜之書物』が真実と言い切れないのですが、今後の解読も期待したいところです!
 
 
本記事と同様に、「光秀が信長を討つ告白シーン」と「光秀が鳥羽に待機していたシーン」の詳細も分かりました。以下をご覧ください。
本能寺の変を起こした動機についても謎だらけで真実が見つかっていません。以下では、光秀の動機説を紹介しています。
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